辛い物嫌いが『辛辛魚』食べてみた(小説風)

 

善意の善人という言葉がある。

「”純粋な気持ち”で、”自分が本当に正しい・良いと思っていること”を語る」人だから純位の善人というらしい。

字面だけ見れば一見いい人のようにも見えるけれども、その言葉の真の意味は実は違う。

実はこの言葉は、「押しつけがましい厄介な人」という意味を持つ、マイナスの意味の言葉なのだ。

”あなたのためを思って!”

”あなたのためにしてあげたのに、どうしてわかってくれないの?”

”純意”であるからこそ、”善人”であるからこそ、質が悪い。

自分の行動が人のためになっていないことにすら気が付いていない。そんな皮肉を込めた言葉が、善意の善人という言葉なのだ。

そしてその対義語に、悪意の悪人という言葉がある。

自分が悪人であることを自覚し、悪意を持って相手に当たる。

自分が相手を害することを十全に理解していて、その上で自分の打算と計算の上で人に接する。

そんな理知的で最低な人間のことを、悪意の悪人というらしい。

 

―――とても、美味しい食べ物があるんだ。

 

二日酔いで苦しむ僕に向かって、悪意の悪人たる僕の友人は優し気に微笑んだ。

まるで赤子が親を見たときに浮かべるような、母がわが子に無償の愛を注ぐときに浮かべるような、そんな無垢で慈愛に満ちた綺麗な笑み。

純粋無垢という言葉が適切で、一見何の害意も無いはずの、誰もが心を許してしまうであろうそんな笑み。

菩薩もかくやという笑みを浮かべながら、彼は僕に何かを差し出した。

「……これは?」

お酒が残り、かすかに痛む頭を押さえながら、差し出された何かを受け取る。

白いビニールに入った円形の何か。少し力を入れれば壊れてしまいそうで、しかし陳列しておくには十分な耐久性。

指一つで持ててしまうながらもしっかりとした耐久性を兼ね備えているであろうその感触は、僕らが普段良く食べているであろうあの商品を連想させるのに十二分な情報量であった。

―――カップ麺?

プラスチック特有のこすれる音を発する袋に手を突っ込み、無造作に放り込まれていたそれを取り出す。

果たしてそれは僕の予想しているものであったが、同時に僕の酔いを吹き飛ばすのに十分な破壊力を備えているものだった。

目次

味覚障碍者御用達カップ麺「辛辛魚」

「―――辛々魚?」

聞いたことがある。

それは味覚障碍者御用達の、自分の舌と痛覚を壊すためだけに存在するという、食べる意味が分からない致死性の劇薬の名前だった筈だ。

こんな物を食べる奴の意味が本当に分からない。自分の細胞を破壊するためだけに存在するような物体を、なぜ食べなければならないのだと、鼻で笑った記憶がある。

もう一度僕は自分の手にある物体を見やる。

何度見ても辛々魚だ。これを食べている味覚障害の友人の疾患の重さを痛感させられてに思わず涙を流してしまった、あの辛々魚である。

……それが何で僕の目の前に?

まさかと思い、ばっと顔を上げる。

するとそこにあったのはお湯を準備し始める彼の姿。彼用に買ったのだろう。僕と彼が座るテーブルの上には封を切られた辛々魚が一つ置いてあった。

その事実から導き出される結論はただ一つ。

「まさか、これは僕のなのか……?」

その結論に手が震える。

まさか。まさか。

そんな僕をしり目に、着々と用意されるかやくと液体スープ、そして熱湯。

どうやら僕は、これを食べなければならないらしい。

お湯の中でかやくが躍る

無慈悲にも僕の目の前でカップ麺にお湯が注がれる。

ただのお湯のはずなのに、なぜか赤い。

この時点ですでに辛いのがわかる。何故赤いのかがわからず困惑する僕に、かやくを入れておいたからだよ、と彼は語る。

かやくとは果たして赤いものだっただろうか。こいつまさかかやくと称して七味唐辛子でも振りかけまくったのでは?と疑い始める僕と、嬉々としてカップラーメンを作る彼。

次いで指示された液体の入った袋を切ると、ドロドロの、コレステロール過多な人間の血液みたいな恥ずべき汚い液体が現れる。

味覚だけが死んでいるものと勘違いしていたが、どうやらその異常は脳までも達してしまっていたらしい。控えめに言って死んでほしいが、その気持ちはぐっと抑えて彼の指示通りカップ麺をかき混ぜる。

もともと赤かった液体が、より紅く染まっていく。正直、もう無理だ。

―――大丈夫。君、魚介系好きだろ?

にっこり、という言葉が適切な笑みで、そう話す彼。

いや魚介系好きなのとこの液体のキチガイさは全くの別問題だろお前、と思いながらも僕はスープをかき混ぜる。

あ、これは無理だ。

なにこの赤さ。少なくとももう人間の食べる食い物ではない。

これは旧ソ連時代、捉えた捕虜を拷問するために作られた食べ物に違いない。第二次世界大戦で絶対に使われていた、もはや凶器に近しい。

でも、戦慄する僕を他所に、彼は徐にもう一袋を取り出し始める。

紫色の、見るからに禍々しいその袋。その中身は、予想していたといえば予想していたが、それにしても異常すぎる一品であった。

赤の山。盛られたそれは、そう形容するにふさわしいそれであった。

食欲をそそる魚介の臭い。まるで鷹虎のような魚介の風味が一瞬僕の鼻腔を刺激する。

しかしながら、次いで香る刺激臭が、その風味を惨殺していることを嫌が応にも理解させる。

あ、これシャレにならないぐらい辛い奴だ。

実食

―――この風味と、味がたまらないんだよね。

そう言いながら麺をすする彼。

前回の地獄のタンタンメンとは異なり、麺に赤黒い何かが付着しており、麺自体がとてつもない辛さであることが窺える。

意を決して一口。啜ったら絶対に気管支にダメージが行くことは明白なので、啜らぬように、ゆっくりと口に運ぶ。

まず広がるのは魚介と濃厚なとんこつの風味。

一瞬鷹虎の辛し漬け麺の味がフィードバックするものの、濃厚さはそこまででは無い印象。

しかし非常に美味しい。友人が魚介系ととんこつ系の味がダメで無ければ美味しいよと言っていたのも非常に納得だ。

確かにこれは美味しい。ハマるのもうなづける。

味は非常に美味しいため、自然ともう一口に手が伸びる。この濃厚な魚介ととんこつの味をもう一口―――

そんな甘い考えを僕が持ち始めた刹那、口内が刺激によって蹂躙される。

まるで口内で雷が炸裂したかのような刺激。爆竹が破裂したかのような、細かい針が味蕾と言う味蕾全てに侵入したかのような、そんな痛みが僕の舌を蹂躙する。

先端から末端まで満遍なく。一部の隙も油断もなくそれは僕の舌の上で暴れまわる。

地獄の担々麺が天国に思えてくるかのようなそんな辛さ。

正直アレは麺がそこまで辛くなかったので問題なかったのだが、こちらは桁違いだ。

麺をすするだけでとんでもなく痛い。いや、啜ることすらままならない。啜ったら、死ぬ。

これはやばい死ぬ、と思い眼前を見やる僕。

ノックアウトされましたと、もう無理ですと目の前にいる友人に告げようとしたのだ。

友人が食べているやつ

だが、目の前に広がっていたのは想像を絶する光景。神が咥内の痛覚神経を与えたもうことを忘れた男にのみ許された、禁断の行為を行う友人の姿だった。

―――これで、スープも飲める。

額から汗を流しながら、それでも尚爽やかな顔で笑う友人。

勢いよくご飯をかき回し、赤黒い豚の血のような液体をご飯に絡めて一気に書き込んでいく。

見るだけで吐き気を催す邪悪。

痛覚と言う概念の無い退屈な世界を持つ彼等だからこそ出来る芸当。

一分もかからず、彼はそれを飲み干した。

愕然とする僕。平然とする彼。

社会では、女性と男性とでかなり区別されることがあると聞く。

出世、セクハラ、待遇の差……。それが男女で大きく開いてしまうという。

だが、考えても見てほしい。

個々人によって、咥内の味覚がこれだけ違うのだ。

それだというのに、そもそも遺伝子レベルで構成が違う男と女が、どうして同じだと考えることが出来るのだろうか。

そんな炎上案件待った無しなレベルのことを考え始める程度には人間としての差を感じてしまう。

―――そんなに美味しいのか?

麺で十二分に調理されつくしたこの舌に、デスソースも各やというこの液体を注ぎ込むというのか?

そんなの、尻の穴からラム酒を飲むあの愚かな行為と同じレベルの愚行だ。

けど、目の前の彼は僕にそれを許さない。

あの慈愛に満ちた笑みが、緩やかに弧を描くあの瞼が、僕をしてこの劇薬を飲ましめるのだ。

最終章

スープを一口。

成程、旨い。

濃厚な魚の旨味に、鼻に抜ける豚骨の風味。これは本当にたまらない。

僕は魚介系のラーメンが非常に好きだ。

同時に豚骨も好きだから、高い次元でその二つを融合させたこのカップラーメンは、本当に美味しいと言わざるを得ない。

どんどん次から次へと飲みたくなってしまう。

もしこれが、激辛ラーメンでなければの話だが。

激痛。

その一言にすべては集約される。

気管支に刺激を与えぬよう、啜らずゆっくりと飲み込んだ筈だというのに、咳が止まらない。

痛い。つらい。苦しい。

喉が焼けるような灼熱。滴り落ちて行った胃にも、火が付きそうなほどの熱が宿る。

とてもじゃないが、全てなど飲み干せはしない。

腹を抑えてうずくまる僕に降り注ぐ、押し殺したかのような笑い声。

 

―――善意の善人よりも、悪意の悪人の方が付き合いやすい。

善意の善人という言葉を定義した一作である、悪人礼賛の中で筆者が語った一言を僕は思い出す。

悪人には悪人なりのプライドとセオリー、そしてグラマーがあるので、扱い方さえ間違えなければ危害を加えてこない。

しかし善意の善人は、こちらが何もしていなくても攻撃を加えてくるから、悪人の方が扱いやすいと、筆者は話しているのだ。

成程。一理ある。

 

―――だが。

 

余りにも禍々しすぎるスープを食堂に流し込み、胃が灼熱に燃え、意識が次第に遠のいていくのを感じ取りながら僕は考える。

善意の善人は確かに厄介だが、この世の中にはもっと厄介なものなど、いくらでも存在するのだ。

そう、例えば。

僕を害することしかグラマーにない、目の前の悪意の悪人とかね。

 

悪意の悪人による辛辛魚レビュー

辛い物好きが『辛辛魚』食べてみた

2019年2月25日

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